
「駿河路や花橘も茶の匂ひ」
江戸時代の俳人・松尾芭蕉が駿州(駿河国)を訪れた際に詠んだ句です。
この句からも分かるように、駿州は古くから茶の産地として有名でした。
藤枝市の藤枝宿と静岡市の府中宿には、それぞれ「茶町」という名を持つ町があります。
いずれも、地域の茶を集積したことからついた地名で、この地域で古くから茶産業が発達していたことを示しています。
静岡県で初めて茶が栽培されたのは鎌倉時代のこと。
駿河国に生まれ、宋(中国)で修業した禅僧の円爾(聖一国師)が安倍川上流の足久保にお茶を植えたと伝えられており、このことから聖一国師は静岡茶の祖として知られています。
安倍川上流域の茶は安倍茶と呼ばれ、江戸時代には府中宿の名物として浮世絵や名所図会などにも描かれました。
府中宿の茶町は、徳川家康が駿府城下の町割りを行った際に茶商が集められたのが始まりで、安倍足久保の茶を仕入れ、府中に出荷していたといわれています。
安倍茶は明治時代に本山茶と改称し、現在でも静岡茶のブランドの一つとして愛されています。
藤枝でも古くからお茶が栽培されており、文献によれば遅くとも江戸時代には茶園があったようです。
また、藤枝市北部の瀬戸谷地区には、今から300年ほど前に植えられたという「藤枝の大茶樹」があり、現在でも毎年5月に新茶を手摘みしています。
藤枝宿では、藤枝の山間地を中心として生産された優良なお茶を、多くの人が行きかう宿場町で取引するため茶商をはじめとした茶業関係者が集まり「茶町」が形成されたといわれています。
駿州の二つの茶町は江戸時代以降も茶の集積地として栄えました。
現在でも、2つの茶町を中心に、駿州には名産のお茶を楽しむことができるスポットがたくさんあります。
駿河路を行く人々に愛された駿州のお茶をお楽しみください。