후지에다슈쿠藤枝宿・岡部宿ハイキングコース紹介~蔦の細道~

「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」
平安時代に書かれた在原業平を主人公とした歌物語『伊勢物語』で、業平が宇津ノ谷峠を越えるシーンで詠まれた歌です。
今回は、その舞台となった日本遺産構成文化財「蔦の細道」について紹介します

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蔦の細道は、岡部宿と丸子宿の間にある宇津山を越える道。宇津ノ谷峠を超える最古のルートとして知られ、藤枝市の史跡に指定されています。
峠道そのものは全長約1㎞で峠の標高も210mと小規模の峠ですが、峠道の平均勾配が約24度と急傾斜で、薩埵峠と並んで東海道の難所の一つに数えられていました。
『伊勢物語』では、「わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り…」と描写されています。ここから蔦の細道と呼ばれるようになり、歌枕の地として広く知られるようになったといわれています。

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ここで、蔦の細道が古代から中世の東海道として使われた歴史を振り返ってみましょう。
古代の志太地域には、主要官道として2つの幹線道路が通っていました。一つは都と地方の諸国とを駅を介して直線的につなぐ東海道駅路、もう一つは郡衙(郡役所)間や郡衙と国衙(国の役所)を繋ぐ郡衙経路です。
このうち東海道駅路は現在の島田市初倉から北東に向かい、焼津市小川を経て日本坂峠を越える道。郡衙経路は島田市初倉から志太郡衙、益津郡衙を経て宇津ノ谷峠を越える道で、平安時代中頃には蔦の細道が主要な街道になったと考えられています。

その後、鎌倉に幕府が置かれると東海道の交通量が増え、多くの旅人が往来しました。
しかし、16世紀になり蔦の細道の北西に新しい峠越えの道が整備されると、こちらが江戸時代の東海道となり、暗く険しい蔦の細道は廃れていったと伝えられています。

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江戸時代には廃れ荒れ果てていたといわれる蔦の細道ですが、現在ではハイキングコースとして整備され、休日には多くの人で賑わっています。
歴史ある古道を歩くことができるだけでなく、天気がいい日には峠から富士山を望むこともできます。
文学作品の舞台となった趣深い道を歩き、中世の旅人の気分を味わってみませんか。

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ハイキングコースについては、ふじえだハイキングガイドをご覧ください。
https://www.fujieda.gr.jp/pamphlet/other/

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